ここに書かれている事は デザイナーの個人的意見です。
感想、コメント等は 申し訳ございませんが受付致しかねます・・。

基本は製作に関する内容が殆どですが
内容の正確性や その他につきましても
保証できるようなものではありません。予め御了承下さい・・

(過去文はある程度たまった消去致します)

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5.25

「昔の黒い泥を振り返って」
一寸ここではライブではうまく言えなさそうなことを。

若い頃っていうのは
やっぱりどこか勢いがあるというか 無駄に走ってしまうというか

俺はかなりどん詰まりだったわけで・どこに向かって生きようかというのは大きなテーマだった。

兎に角、生きていてもこう・良くなる兆しが無いというか
むしろ希望なんて言いう言葉にある種の憎悪を持っていたころが長くあって
憎悪で生きているような時期もあったくらいで。

それで、自分が好きで、自分もやりたいと思っていた
「グッとくるもの産業=文化産業」に対しても
どういう意味があるか?何故重要か?みたいな事を延々考える様な20代だった。
こじらせてたよね・・勝手に論文まがいの事を何十万字も書いたり書かなかったり
自分の生きる意味を切望していたんだと思う。

少年誌や映画にあるように おっきい大義名分に生きたかった・そうすれば
いかに今が苦しくても、それが何だか輝かしいような・・


いやー 全く、とんでもない時期だったと我ながら思う。
でもさ、そういう時期も必要だったとも思うんだよ。

それで・結局世の中にはそんな大義名分や 絶対的な価値なんてものは無くて
ボヤーっとしたものではあるんだけども・。さりとて「みんな百点満点です」というものでもない。
どんな分野にもピンキリというのがあって
ある人達には全く理解できないような分野でも、「良し悪し」がある。

不思議なもんで、そこにおいて良い方に入れば何かあるというわけでも無いし
悪いって言われても何がどう悪いのかも分からない。
本当にある意味でどうでも良い分野なんだけど
でも良し悪しが出てくる。

もの凄く悪い例えなんだけど(語弊があったら申し訳ない)
大半の日本人にとってネクタイなんて・全く何の意味も無いモノなんだけど

やっぱり良し悪しがある。
良いネクタイだからなんだってわけでもないんだけど、でもやっぱり良いものは良いんだよね。
それで、100円ショップや駅前の千円市に冠婚葬祭用のネクタイが出たりしてまあ・それでも良いかっていう風にもなる。
意味としては、それで十分だったりする。


今 こういう事がアパレルで凄い勢いで加速している気がするんだよ。
服っていうのは 実用としては・
身体を隠して 暑さ寒さに対抗して 人から良く見られるためにある。
これをカバーしていて、お手軽でメンテがしやすければ問題は無い訳で。
ただ、やっぱり見栄というか 地位や能力の象徴というようなものがあるから
それなりには凝ったものも必要になる。

なので 適度なレベルでお洒落で差別化が図れるものがニーズとしては出てくる。


そういうものも楽しいとは思うんだけど
そういうものが多すぎる気がするんだよな。

大切なものが抜けてしまっている気がするんだ。

生きる意味を切望していたあの頃・幸福というのが人生の目標なら
インドでヘロイン漬けになって死んだ方が良いんじゃないのかと思った時があった。

どうせうだつが上がる見込みも無し・何を躊躇することがあるとも思ったけれどそれでも・こう・何の意味も説明できないまま
幸福感とかにさえ背を向けていた時期があって
それは多分、今生きているこの世界や 今生きているこの場所に対して何かしらの愛みたいなもんがあったような気がする。

上手く言えないけれど 夏の雨上がりの空気とか
強い風の日のはためく裾とか
夕方に好きな服を着て運転する時とか
中華街の通りを歩く時とか

よく分からない・一瞬で過ぎて、何の意味も分からないものに背を向けたくなくて
殆どの時間を苦しみもがくような時代があった。

今振り返って、その苦しんでいた理由や感覚は思い出せない位消えているんだけど
あの時ググッと来た感覚は 鮮明に覚えていたり

あるいは忘れているんだけど、何かのきっかけで蘇ったり。
結局のところ 今もそうだけど
服を全部自分で作って売るなんて言う およそビジネスとしてはどうしようもないモデルでやっているというのは
それ自体 虚に生きているようなもんだと分かってはいる。


「そんな服を着て 何がしたいの?」と良く聞かれるけれども
そんな服を着ていた時が 自分の人生だったんだという事なんだよね。
受験合格の日も
成績上位に入った時も
難関資格を取った時も その日付も、その時の瞬間も
何一つ覚えていない。

勉強の日々もあったはず・自分の進路に悩んだ時期もあったはず・
その時期があって今の自分があるんだけれど
全然覚えていないんだよな。

ヤフオクで落としたとんでもない服達
がらがらのライブハウスで見たとんでもない面々と音楽
貧乏旅行で言った風景 食った食べ物
路地裏の風まで思いだされるのに なんという落差なんだろう。


結局人生というものの意味は
そこに残ったものを自分で味わう以外に形容できないんじゃないかと今は思う。
ところで
俺は経済ニュースを聞くのが大好きな人間なんだけれど
どうやらコロナの後に 金融大崩壊が来るんじゃないかなんて言われている。
やれドイツ銀行だ アメリカのシェールオイル企業についたデリバティブだ
不動産価格がリーマン越えだ オイルマネー逆サイクルだと言われていて
これから経済が滅茶苦茶になるかもしれない・・のだそうだ。

そうじゃなくても あちこち滅茶苦茶だというのに

これからどうしたもんだろうかね。

これから来る厳しい時代に
熱の無いモノは いくら実であったとしても 残るのだろうか。
なんだかよってたかって誤魔化しているような気がする・意味が説明できなくても
人生に残るものというのがあって
それは 熱の通うものだと思うんだよ。

今のアパレル業界はいかに生き残るかに血眼で 実にばかり流れてしまっている。


でも、いくらスマートに生きたって死んでしまうわけで

なのに スマートに生きようみたいな姿勢はどうなんだろうかね。

こんな事ばかり発信していたら
若い人たちが服に熱を通わせなくなってしまうと思っていたけれど・・
実際 なんだかもうその傾向が顕在化している気がする。

どうするんだろうね。俺が老害なだけか・・




4.29
[次回製作について]

コロナが随分と猛威を振るっているね・・
お陰様で、異例と言うか
忙しく仕事に明け暮れる日々なんだけれども しかし
アーティストさんに ライブに呼んで頂く事も無くなってしまって
また・業界の方々と商談と言う名の雑談も 出来なくなり・・。
自粛に忠実すぎるくらい・本当にアトリエに籠っている状態が続いている。
俺は 元美容院だった建物をリノベーションして
そこをアトリエにしているんだが・・
いくら広いとはいえ
自宅とくっつけてあるというのもあり 毎日毎日 ほとんど外に出れない状態が続く。

服を作っていて思うのだが、アトリエで作業をし
家で食事をし
またアトリエで作業 家族と食事
そして深夜までアトリエ・・とやっていると・・


48時間 作業用の自作服しか着ていない・と言う事が起きてしまったりする。
大好きなシルバーアクセサリも ミシンの上に置いてあったりソファの上に置いてあったり・・
寂しいもんだよ。

寒い時は ストールを巻いてみたりはするものの
香水を付ければ生地に移るやもしれず
指環はカットワークに支障が出る。実はブレスも結構 細かいカーブでは厳しかったりする・
靴なんか履けるわけも無く
ボトムスも 動きが制限されるものは厳しい。

今webshopに出している
「2-1」「2-9」「2-10」当たりは 俺の作業着に近い作品で
普段はそういう ストレッチが聞いて 軽めで
それでいてそのまま外出出来て
帰ってきて仮眠までできる・そう言う作品着て仕事をしているんだが・・

クローゼットにある 私服のコレクションが睨んでいるような気がするよ。


とはいえ・まだしばらくコロナも収まらない・なんて声を良く聞く。

俺も最近はインテリアばかり凝ってしまって 色々買ってしまっている。
やれ彫刻付のオールだの 額にはいったアートだの
絨毯だの 壁にネジ止めするアンティークランプだの・・
そりゃそうだ。
外に出れないんだもんな。

なので インテリア用品と
寝間着(ルームウェア)
あと マスクカバーと言うか
俺は中東の口を覆う奴が好きなんだが さすがにね・・やれテロだのなんだの言われがちで
止めてたんだけど
今お洒落マスクが流行っているみたいだからさ
だったら 今ならいいかなと言う事で
そういうのを作ってみようと思う。アフガンストール柄は避けるつもりだけどね。

後は もの凄く作り込んだ奴。
まあ セカンドラインの逆・と言うものかな。
それとTシャツか・・

リリース場所はあとで考えるとして
製作に入ったらインスタに随時掲載していくから
もしピンときたらDMやコメントをくれれば そこで販売も出来るようにする・・予定。


本当は親父も巻き込んで家具もやりたいんだけど ちょっと何でもはイカンね。

そんな感じで 今後も興味を持ってもらえればと・・








5.16
[コロナとアパレル業界]

コロナの自粛の中
ファッションを不要不急のものにさせていはいけないというムーブメントが起きているわけです。
それに関して
インスタライブで話そうとも思ったのですが・どうにも定まらなくなるので
ここで書こうかなと・・。


ファッションは「見栄」というのと大きくかかわっているわけです。外見も扱う分野ですからね・・。
なので必然として 贅沢品という観点、富や成功、力の象徴の一つとして扱われることも多く・
だからこそうこういう騒ぎの時に
「不要不急である」
とされてしまう結果になったのだと思います。
それは仕方のない事だと思います。

ただ、本来ファッションというのは生活上の文化であり、
また実用可能な芸術分野でもあるわけです。
つまり、人々に近い芸術文化であると・少なくとも私は それがファッションの自負であるべきとは思っています。
ところが どうもバブルの頃・・いや その前からでしょうが・・
この「人々に近い」という部分が大きく欠落していたという事はあると思います。

ざっくばらんに言うと 上から目線で 或いはトップダウン的に価値を決めつける・そう言う面がファッション界では横行しているわけです。


「あいつはダサイね・遅れてるね」という言葉があります。
これは批判というか・貶める言葉ですが
その・ダサイ・遅れてる人がそれによって誰かに迷惑をかけているわけではありません。
また、そのダサイ・遅れているという事に対し、明確な根拠や基準があるわけでも無いのです。

ありていに言えばイケメンやセレブが着れば 評価がガラッと変わり・急に持ち上げられたり
あるいはその逆もあったりします。
「ダサイ、遅れている」というのは これはもう理不尽の塊で・イジメ文化のようなものです。
本来は 好き、嫌い以外の何物でも無い訳ですが・・。


もちろん文化にはピンキリがあります。
良いものも悪いものも実際にはあり、洗練というのもありますが
それは完全に趣味趣向の領域で 「楽しむためのアレコレ」です。
少なくとも 人を貶めるためのものではありません。
長々と書いてしまいましたが
世間は清濁併せもつ場所 色々な「濁」もあり
まあそれはそれで風情だったりもします。
見栄も富の象徴も 実際は悪くない蜜の味だったりします・
良いじゃありませんか・・そう言うのがあっても・と思います。


しかし、それはあくまで世間での話。

業界としては そんな了見ではいけません・少なくとも私はそう思います。
それは品であり格であり、また礎そのものの問題でもあると。
一応と言いますか ファッションは美学にその本質があるのです。なのに
「キタナクていいや!」では もう存在から矛盾しているわけですよ。

ところが ファッションの世界では
もう業界やメディアが言いたい放題です。某雑誌のセレブファッション批評に始まり
軽いデザイナーは消えるといった意見・
勘違い・痛い・年相応でないというような声まで 日常茶飯事に飛び交っています。
業界の人がこういう発言をすることにまるで抵抗が無いのです。

自分がまだ若い頃 憧れのお店に行くことがとても怖かった思い出があります。
「ハイセンスでお洒落なお店」に行く事は
自分がより高い基準でジャッジされに行くようなもので
だから、ある程度自身が付くまではいる事も出来なかったお店が沢山ありました。
もちろん優しく、いろいろ教えてくれる店員さんもいらっしゃいましたが・・
高圧的で、人を値踏みするような人も少なからずいた・そんな印象があります。

そして業界人のSNSを見ても そういう姿勢の方は決して少なくないです。
今ですと 平気で「次潰れるのはどこでしょう」というような投稿が目立ちます。
レナウンさんの倒産がニュースになっていましたが
そもそも昨今のコロナ騒動?で
ビジネスモデルのニュースばかりが 業界では飛び交っています。
まるで投資家の社交場のようです。

投資家さんは身銭を切ってリスクをしょっていますが
業界人のそれは ただのヤジです。
勝手ながら作り手の立場からすれば ビジネスモデルなんぞ最低限でよく
製品の出来に興味がありますが
業界では真逆の風が吹いています。

何故その製品が良いのか?何故そのデザインが良いのか?を
歴史、精神性、実用性、切り口を合わせて
つまり根拠を持って熱弁するメディアや業界人がどれほどいるでしょうか。
私もいろいろチェックしていますが、服が好きだからこそ発信している方はそんなに多くはありません。
もちろんいらっしゃいますが・・そして
だからこそ私も拙いですが 一応こうやって長文を垂れ流そうと思えるのです。


私から書けることは
今、この業界では前にも増して美学の欠落した言葉や考えが飛び交っています。
しかしそれは 本来の現場での話ではありません。
浮ついた 何かファッションとは主戦場が違う人間の世界の話です。
現場では・ファッションが好きで、どうにもお金としては稼ぎにくくてもこの業界に来ちゃった・
そんな「あるべき姿の方々」が頑張っています。
基本的には 私も含めて不器用なんです。スマートに出来ないところがある。
だから上手く発信出来ないんです。
それは勿論改善して行かないといけない事です。

ただ
今、この業界で発信が上手?あるいは声の大きい方々の中に
相当数・美学の欠落した
人を理不尽に貶める面々が含まれている事を あえて書きたいと思います。

一般の方々が ダサイ、流行でない・変な格好と
遊び半分に揶揄することに関しては 私は反対も賛成もしません。
良い風情の範囲内であってほしいとは思います。
ただ、業界内に限って言えば 個人的には怒りを禁じ得ません。
人々から「不要不急」とされ、少なくない人が
「モノの時代は終わった・着るものは最低限で構わない」
「ブランド物になんか興味はない」
と むしろ胸を張って発言するようになった・これは業界人の品格のせいでしょう。

今 業界ではサスティナブルというのがテーマです。
在庫品を燃やすのはいけない・それはその通りで、持続可能なと言う観点でおおいに貢献します。
もう一つ、この業界を持続可能にするのであれば
逆に・もっと燃やさなきゃいけないものが沢山あると私は思うのです。
それは物質ではなく 性根です。

ファッションは不要不急のものではありません・しかし
それは体現されるべきです。
どうか 皆さんには 美を純粋に楽しんで頂きたいと思います。
業界として 自粛すべきは 「美学に欠けたヤジ」です。




4.13「ホームページリニューアル作業」
やっとWEB SHOPの活動までこぎつけられた。
色々と事情があって・・。
それで この活動を正式に決めたのが4月頭
何とか駆けずり回って時間を作ってこのページ作成作業に入ったのだが・・
俺は 洋服を作るのが生業であって
もちろん絵画や芸術もやっては来たが・パソコンとなると正直そこまで得意ではない。
洋服を一人で作るという分野は悲しい位マイナー産業で
パソコンと連動したものが他の分野に比べてかなり少ないと思う。
せいぜいフォトショップを使うことくらいで・・それも製版データ作成の時位。

だから俺のパソコン周辺はかなり古いシステムが多い。
ホームページ関連は俺がまだ作家として駆け出しのころからそんなに変わっていない。
なのでとてもアナログな作業でこのページの更新に入っている。

俺は膨大な素材をかき集める癖がある。
画家を目指していたころは 資料の本の重さで棚を初日に壊したことがある。
今回のページ作成に当たって 画像で移っているものは全てアトリエの倉庫にあったもので
正直 一切このページ作成のために買い足したものが無い。

もちろん全ての加工は俺がやっているのだが
加工をパソコンでするより
証明や影を撮影時に調整する方が早い。
実際 毛布をかぶって撮影した画像が多々あるくらいだ。



もちろんフォトショップも使ってはいるが
そんなに技術が無くても
何とかなるのが本当だと俺は思う。

なんでもそうなんじゃないかな。

今出来る事は そんな大仰じゃなくても良い。
要はそれを積み重ねられるかどうか・そんな所じゃないのかと。
言い訳かもしれないけれどね・・


これから色々企画を打ち出していくので・楽しみにしてもらえたら嬉しい。


















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